グザビエ・ドラン、新作「マティアス&マキシム」で体現した純粋なロマンス 俳優としての自身を語る(映画.com)

出典元:映画.com

2019年、第72回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に選出された、グザビエ・ドラン監督の新作「マティアス&マキシム」公開される。世界的に大ヒットしたルカ・グァダニーノ監督作「君の名前で僕を呼んで」に感銘を受けたドラン監督は、今作で「セクシャリティではなく純粋なロマンス」を描いたと公言。ある出来事をきっかけに沸き起こった恋心の抜けない棘のような痛み、そして甘美な喜びを自らの演技で体現し、スクリーンに焼き付けたドラン監督に話を聞いた。

――別のインタビューで「マキシムの顔の痣は、僕の心にある傷のようなもの」と仰っていました。友情に支えられ、そして恋に苦悩するマキシムを演じた役者としてのご自身をどのように評価されますか?

 俳優としての自分が大好きな日もあれば、本当に嫌いな日もある。僕は自分の演技を客観的に嫌ったり受け入れたり褒めたりできるタイプ。自分がどう見えているか、ライトがそう当たっているか、立ち位置は、とか常に気になる。演技しているときについ忘れそうになるけど、常に自分の周りを把握してなくちゃならない。フィルムで撮影したからデジタルの時のようなモニターがあるわけではなかったけれど、今回は常にフレームや立ち位置を意識しながら演技することができたと思う。

 演技をしていて、全く予想外で自由になる瞬間は、共演している相手の出方が全く見えない時。それ以外は、演技していても監督として計算しながらコントロールしているから、そんなに難しいことではない。難しいのは、自分の内面を見せる、弱い部分を演じる時。泣いたり感動したりというのを演技することは大変だけれども、それでも少しずつ慣れてきたと思う。ただ、そこまでエモーショナルな場所に気持ちを持っていくのはいまだに難しいけれど。でも演技は大好きだし、監督と俳優を同時にやることはそんなに苦ではなく、他の監督のために演技に集中することも好きなんです。

――今作では、カナダ独特の言語を活かしたセリフも印象的です。とりわけ、共依存的な関係の母親との会話について、彼女の話す言葉について教えてください。

 映画の舞台となっているケベックで英語を流暢に喋るということは、若い時からずっと英語をメインに話すアングロフォンと共存してきたか、学校で英語を学んだかによる、と僕は考えます。そういう意味で、マキシムの母親が全く英語を喋れない、そして彼女のフランス語があまりにも酷いのは彼女の生い立ちを表わしています。

――撮影方法や音楽の使い方など、今作でも新しい表現に挑戦されていますね。

 新しいことへの挑戦は、本当に大変だと思う。僕の映画は、僕にとっては、テーマが同じだからといって毎回同じことの繰り返しというわけではない。撮影の仕方、脚本の書き方、物事の選び方、僕は毎回新たな事を試しているという自覚があります。でも今は、もっとジャンルを拡げていけたらと考えています。

――今作もカンヌ映画祭のコンペ部門に入選しました。「若き天才」などと呼ばれることに、プレッシャーを感じることはありますか?

 みんな僕のことを「若き天才」と呼ぶのを好むは理解できるけど、僕は天才でもなんでもない、ただの人間として、自分の仕事に対して、それをどう感じているかに正直なだけなんだ。でもそういうことを言うと、うぬぼれているとか野心的だとか言われることも分かっているけれど、そうではない。僕はたまたま自分のやりたいこと、好きなこと、嫌いなことに対して明瞭に分かっているだけなんだ。

――コロナ禍で何か新しいアイディアなどが生まれましたか?

 いくつかアイデアはあるよ、うん。細かくは言えないけれど。ただ、今まで以上に数カ月先を見据えて物事をプランニングするということが難しくなってくると思うね。

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