「ミスター麻雀」小島武夫さん1周忌 萩原聖人が偲ぶ「今日もいい麻雀打てよと言ってくれていると信じたい」(AbemaTIMES)

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出典元:萩原聖人

多くの麻雀ファンから「ミスター麻雀」と呼ばれ愛されたプロ雀士・小島武夫さん(享年82)が亡くなられたのは2018年5月28日。令和元年となった2019年5月28日、1周忌を迎えた。

 1936年、福岡県で生を受けたミスター麻雀は、1981年、当時45歳だった時に日本プロ麻雀連盟を設立。初代会長となり「職業棋士の育成、確立、社会的地位の向上」を目指すべく、麻雀プロ第1号として、麻雀プロの世界を切り拓いた。

 幻の役満とされる九蓮宝燈(チューレンポウトウ)をCSチャンネル「MONDO TV」の麻雀対局番組でアガるなど、華麗な打ち筋と豪放磊落な生き様で、麻雀ファンを魅了した。現在も増えつつある麻雀対局番組の礎を構築した最大の功労者である。

 ミスター麻雀が逝去された同年8月。奇しくも麻雀対局番組の創成期から活躍してきた俳優・萩原聖人(47)が日本プロ麻雀連盟へのプロ入りを表明したことは、各メディアでも報道された。そして企業と麻雀プロがプロ契約を結び、麻雀のプロスポーツ化を目指す「Mリーグ」では、株式会社電通率いるTEAM雷電からドラフト1位指名を受け、俳優兼プロ雀士となった。

 「これは本当に運命じゃなくて、偶然なんですけど。運命だなんておこがましいことは言えないんですけど。小島先生が、おう聖人、がんばれよと、今日もいい麻雀打てよと言ってくれていると信じたい」と思いを馳せた。

 実際、萩原は2003年「MONDO TV」の麻雀対局番組でミスター麻雀と初対戦。以降、メディア対局では5度の対戦経験を持つが、勝った記憶は一度も無く「とにかく魅了負けだった」そうだ。ただ「聖人はいい麻雀を打つよね」とミスター麻雀からもらった言葉は、いつも胸に抱いている。

 現在、ミスター麻雀と親交の深かった作家・阿佐田哲也(享年60)が祀られている伏見稲荷山大社(京都府京都市伏見区)に「小島武夫記念碑建立プロジェクト」が進められている。

 萩原は「告別式に行けなかったんで、碑が出来たら手を合わせに」と日本プロ麻雀連盟入りしたこと、Mリーガーになったことを含め、俳優兼プロ雀士となってからの激動の1年、そのすべてを報告する。

 ミスター麻雀といえば“魅せる麻雀”。その解釈に関して萩原は「魅せる麻雀は、とにかく高い手でアガることではなく、視聴者がおもしろいと思ってくれるかどうかだけ。あくまでも決めるのは視聴者」と捉えている。

 碑の前では「昭和、平成と先生ありがとうございました。令和はしばらく頑張りますと言いたい」と麻雀ファンに愛されたその意志を新時代「令和」に受け継ぐ。「遠くから見守っていてください」という祈りと共に。【福山純生(雀聖アワー)】

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