東京・福生市でかつて「埋蔵金」が発見されていた! 90年代ブーム「徳川埋蔵金」とともに振り返る(アーバン ライフ メトロ)

冷えから来る不眠、体調不良に

うんざりしていた28歳の山田さんが

「朝までぐっすり眠れるようになった」理由とは?

身体を足のつま先から「ぽかぽか」と温める方法

野蚕シルクで出来た冷え取り靴下【リンマー】公式サイトはコチラ

出典元:アーバン ライフ メトロ

権力者や盗賊が宝を埋めたという「埋蔵金伝説」は、日本全国あちこちにあります。しかし、実際に発見された例はほとんどありません。

【画像】福生市で出土した埋蔵金

 伝説のなかで特に知られるのは徳川埋蔵金で、江戸幕府が滅亡する前、勘定奉行の小栗忠順(ただまさ)が群馬県の赤城山麓に莫大(ばくだい)な埋蔵金を埋めたというものです。小栗は新政府に斬首されたこともあり、この伝説は信ぴょう性を帯びました。

 1990年代初頭には、テレビ番組『ギミア・ぶれいく』(TBS系列)が徳川埋蔵金について何度も放送。番組には思わせぶりなナレーションが付けられていますが、今改めて見ると大型重機で穴を掘っているだけ――というむちゃな番組でした。

 そんな伝説とは別に、本当に埋蔵金が発見されたことがあります。しかも場所は東京で、1995(平成7)年のこと。多摩地域西部に位置する福生市で見つかった「中世大量埋蔵銭」がそれです。

 中世大量埋蔵銭は福生市の熊川地区で、造園作業の最中に発見されました。見つかったのは、中国の北宋時代(960~1127年)の公鋳銭(こうちゅうせん)を中心にした62種類、5075枚です。

 日本の貨幣は12世紀後半から江戸時代になるまで、主に輸入に頼っていました。奈良時代に和同開珎(わどうかいちん)が鋳造されてから、958(天徳2)年に鋳造された乾元大宝(けんげんたいほう)まで、朝廷による鋳造は行われていました。しかしあまり普及せず、平安時代の日本では絹や米などの物品が貨幣の役割を果たすようになりました。

【広告】

新会社でも作れる

法人ETCカードは

しかもスピード発行




コメントは受け付けていません。